ノーベル文学賞をとって1年 今また考えてみる ボブディランの世界

幼少期や、思春期に家で流れていた音楽や文化的なものって、その後の人生に

大きな影響を及ぼすことが多いですよね。

 

わたしも、そうでした。

家庭的な事情もあって、ものごころついてから肉親と暮らし始めたのは

中学生から。

生活環境はガラッと変わったわけですが、その一つに『音楽』を聴く

環境というのがすごく変わったということはとても大きかったです。

 

父親の趣味が好きが高じてか、住んでいる家はとてもボロい

アパートだったのですがオーディオの設備だけはやたらと整えられていました。

コンポではなく、プリーヤーとプリメインアンプとスタジオ用スピーカーで

来る日も来る日も親が好きな音楽を聴かされる日々!

 

スタジオ用のスピーカーの音量たるやボリュームを少しでも上げようものなら

近隣の方からクレームが入るという。。笑

 

聴く音楽は決まって1960年代〜1980年代のアメリカとイギリスの音楽たち。  

ブルースに起因する音楽がとにかく多く、魂の叫びなんだ!とよく

豪語してたのが印象的だったな。。

 

つい先日ノーベル文学賞を日系イギリス人のカズオ イシグロ氏が

取りましたが昨年は驚きのボブディラン氏でしたね〜

歌詞が文学として認識されるとはなんとも嬉しい限り。

 

そのボブディランといえばフォークの神様として祭り上げられていますが、

彼も1964年ごろに売れてきていたビートルズローリングストーンズ、

エルビスプレスリーなどの流れとしたロックンロールスターに憧れたわけです。

 

ニューポートフォークフェスティバルというフォークの祭典でボブディラン氏は

その夢を叶えようとエレクトリックバンドを従えて登場したわけです。


Bob Dylan Live at the Newport Folk Festival

 

演奏後に聴衆からブーイングをくらい、泣く泣く下がってフォークギターを

持って泣きながら演奏をしたという逸話が残ってますね 笑

今はYou tubeでサクッと観られますがこの動画を当時は海賊版のVHSを、

とんでもないクオリティで観たのをよく覚えていますよ〜

なんていい時代だ... 

 

わたしは、この時の演奏がとっても好きでバックバンドの

マイクブルームフィールドは大好きです!何よりもディランがとても

生き生きと演奏しているし。

5年ほど前に日本ツアーに来た際に観に行きましたが、フォークギターだけで

ずっと歌ってましたよ。

 

ちょうどこのフェスの時代に書かれた曲たちの歌詞は世相を反映している詩が

多く、文学としても評価されているとか。

公民権運動が盛んな中、ジョン・F・ケネディ元大統領の暗殺があったり

と戦争の絶えない時代だったので、おのずとそうなるのかもしれない。

 

『激しい雨が降る/A Hard Rain's A Gonna Fall』で雨を戦争で降り注ぐ銃弾に

見立てて反戦を訴えたり、『風に吹かれて/Blowing in The Wind』では人種差別に

物申したり、プロテストソングが多く今も止まない無差別銃乱射事件や、

人種差別など当時から変わらない課題は今なお文章として見ても何ら古さを

感じない普遍的なものですよね。

昨日生まれたばかりの曲かのような新鮮ささえ覚える。

 

今も海外で悲惨なニュースが海を越えた日本で流れた際にはいつも、

ボブディラン氏の歌詞を思い出します。

 

この詩を見るたびに日本人である我々は何ができるのか。

平和ボケしているのではないか。

もっと声を大にし何かを伝えるべきではないのか。

このままぼーっと静観していたいいのだろうかと、よく考えます。

まぁ、海外でどれだけ人が死のうと、特定の人種が差別されようと

何も思わなければ何も起こらず自分の時間が流れていく、これまた事実なわけで。 

 

自分自身は何もできないけど、平和を祈って音楽のことは綴っていこうかな。

 

友よ、答えは風の中に。

 


Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)