乳がん検診、あきらめたらそこで死んでしまう理由

 

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先日乳がんの手術に行ってきました。

 

というのも、自分では無くて比較的に疎遠な母親の立会いに。

 

あくまで男性である僕の観点から今回学んだのは、とにかく確実な診断が出るまで検査は絶対に受け続けろということです。

 

 

 

 

3月ごろに母から市の健康診断に行ったら怪しい影が映ったから身内を連れてこいと。

 

おーこれはドラマでよくある展開だなぁと思い自分の口からは第一声が『保険には入ってんの?』と、、

よくよく考えると何て冷たいヤツw

ちなみに、この保険については後々に不要だということが発覚します。

 

 

さて、後日精密検査の結果を聞きに検診センターに同行します。

細胞診というヤツで腫瘍らしきものに直接注射を刺して、細胞を採取してガン細胞かどうかを判断する診断。

 

3本打って2本からは何も検出されず、最後の1本は上手く採取できずに。。

 

先生曰く、大丈夫だとは思います。

最後の1本からもし陽性のものが出たとしてもごく初期のものです、2/3は何も出ませんからねーっと。

後で振り返ると、ここが勝負の分かれ目です。生死を分けるポイント。

 

ただ、ここで確実な診断が出せないので更に精密検査を大学病院で行っていただく手配はできますとのこと。

ここがポイントです、、絶対に行けでは無くて、あくまで任意でとのこと。

 

行くなら大学病院への紹介状はお出ししますよと。

 

当初は他人事だったのでテキトーに、ヒマだろうし行けば?程度に薦めておきましたがここが本当に大事。

確実な診断が出るまで検査を受け続けることを、絶対諦めてはなりません!

 

医者に殺されるというか、ここをおざなりにすると死にます。マジで

忙しいから、面倒だから、大丈夫だろうからとかで後回しにすると死にます。マジで

 

 

確実な診断が得られるまでは絶対に検査を続けることです!

これを見送って1年放置して気が付けば末期だったみたいな人、よく聞きますよね。

こういうことなんですよ。

 

 

さて、その後大学病院へ行ったら案の定初期の乳がんです。ステージ1….5年生存率89%

ようやくここまで来て診断が確定するわけです。初めの検査から半年ほど

 

ちなみにステージ3になると一気に5年生存率は50%台です。

ここまで来ると生存率のグラフを見せられて愕然する人が多いです。

 

 

その場で手術の日程が決まって小慣れた説明を聞きます。

ごく初期なので転移の可能性は低く、再発の可能性も低い。

腫瘍が2cm以下なのでそんなもんらしいです。

 

手術時にリンパ節への転移のチェックと、摘出後の腫瘍の周囲2cmにガン細胞が無いかのチェックをするとのこと。

ここまですればとりあえず転移の可能性は低いらしい。

 

そして、部分切除か全摘出か。

この段階であれば部分切除でよいでしょうとのこと。ただ、半年ほど放射線治療をする必要がある。

女性がそんな簡単に全摘なんて出来ないだろーと思うかたわら、アンジェリーナ・ジョリーみたいに発症前から全摘する人も居ます。

 

後者は放射線治療に通院する必要が無くなります。ただ失うものもデカイ。

 

というワケで母は部分切除を選択。

 

手術当日、点滴を片手に一緒に手術室へ向かいます。

降りた階に広がる手術室への通路は、薄暗く縁起でも無いがまるで死刑台へ向かう通路の様。

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手術台を前に執刀医の先生から質疑応答が終わった後に『最後にお声掛けていただいて結構ですよ』と言われる。

ん、最後に声を?一瞬いろいろなことが頭をよぎって、まぁ大丈夫だろ!と一声掛けて託しました。

多分、植物状態の方やもう末期でとりあえず手術、という方などいろいろ居て機械的に言われたのだと思います。

この瞬間が一番衝撃的でした。あ、ワンチャン死ぬのかもなと。

 

サクッと2時間で手術は終わり、病室で寝ている母の横で待っていると看護師さんが先生から別室でお話がありますと…

これはやべーやつだな!と待っていると先生が病室にやってきて、問題なく終わりましたー術後の検査も問題なく

リンパ節への転移もありませんでしたーと。4名の相部屋だったけど他の方は関係ないらしい…

まぁ大丈夫ならそれでいいか。。

 

その後無事に退院して通院が始まった模様。

 

さて、今振り返るとやはりポイントは早期発見、これに尽きます。

 

市民病院→検診センター→大学病院という流れで、検診センターで死に掛けました。

 

都内の立派な建物の保険会館的なところでしたがフツーに見逃されます。今回はなるほど、こうやって殺されるワケだなと勉強になりました。

場合により怪しかったら、セカンドオピニオン、サードオピニオンも診てもらうべきです。

 

そして、ネットの情報はデマも含まれており、医療関連の話は特に参考にするべきではありません。

ただただ不安になるだけなので、その時間があればお医者さんに診てもらうのが良いです。

 

 

とにかく完全な診断が出るまで検査は受け続ける!これに尽きます本当に。

 

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3522637011092018000000/

ちゃんと見つけられれば95.2%は3年生存できますからね。

 

 

粘り強く検査を受けることを学んだ夏でした。

僕から言えるのは、まずは年に一度の定期検診を是非受けて欲しい。。

そして無駄死にしないで欲しいということ。

 

 

さてさて、余談ですが僕が放ったサイテーな一言『保険に入ってるのか?』が無意味だった件。

今回母は高額医療費制度を使って35,000円で入院から手術まで全てを終えています。

差額ベット代も無料のものだったので出費はこれで全てです。

もし、お金が、、とか考える必要はないですね。

27歳は何を考えるのか。

27歳、ぼくはただただ、仕事をしていた日々だったような。。

 

フツーに大学を出て働いているサラリーマンであれば入社して5年目。

そこそこ周りも見えてきて、そろそろ結婚でもしようかな的な

年齢だったりしますよね。

 

ぼくはね、部下だった人が全員年上でしかも結構なオジさんばかりで

かなり苦戦した覚えがあります。。

東京から大阪への転勤で、文化も違い洗礼を浴びる日々。

プレッシャーもあると言えばまぁ、あるかなー程度なもんでしょうけど。

 

ただ、これは芸術分野の方々にはどうなのでしょうか。

あまり日本人には当てはまりませんが世の中には『27thクラブ』と

言われるジンクスがあります。

 

主にロックスターに多いのですがあまりにも有名なプレイヤーたちなので

そんな様に呼ばれております。

 

ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョップリンカート・コバーン、、、

リストアップすると中々な方々がいらっしゃいます。

日本人だと似たような亡くなり方をしているのは、尾崎 豊とHide。

ただ、26歳と33歳なのでちょっと違う。

 

総じてみなドラッグ中毒、アルコール中毒で亡くなっていることは

まぎれも無い事実。

そしてみな常人とは思え無いようなパフォーマンスをする方々。

これを、シラフでやる方がぼくはムリだと思う!

 

ただ、命を犠牲にしたからあのパフォーマンスがあるのか。

ドラッグとアルコールがあるからあのパフォーマンスがあるのかは不明です。

 

ちなみに、ある学者がこの27歳で亡くなる現象について統計的に調べた結果

特別に亡くなる確率が高いわけではなく。

ただ、ぼくらが騒いでいるだけといえばそうなのかもしれない。

 

スター薄命だ!ドラッグで飛んで一発やっちまうか!

では無く、とんでもないプレッシャーがあって良いものを創作しようと、

悩んで悩んだ結果いきついたのがドラッグでありアルコールだったのかと。

 

いつの時代もよい作品を残すのはとても繊細な方々。

時代が時代なだけにギリギリで戦った結果がそうなったのだと思います。

ドラッグやアルコールを肯定するわけでは無くて結果的に。

 

今もアメリカではオピオイドの乱用など未だに薬物の闇は深い。

芸術活動の傍、薬物に染まってしまうのはとても残念である。

 

あらゆる文化の発祥がアメリカであり、またこういった薬物問題が根深いのも

アメリカである。

 

清廉潔白なアーティストも当然多いが、今一度考えると隣り合わせだったりする。

 

自分も表現者を志す部分はあり、気をつけながら臨んでいきたいと思う。

 

 

 

 

ラヴィ・シャンカールは音楽における人間交差点だ!

魅惑の国インド。

人間より牛を敬う国インド。

何かとカオスなイメージの国インド。 

今、一番行きたい国インド。

 

行って魅せられる人と、うんざりする人と別れるみたいですね。

後者の方は現地の食事と水が合わずに下痢をして帰ってきたり、

街の喧騒に耐えれない人はよく聞きます 笑

行ったことが無いけど、とりあえずどんな国か気になる方はイギリスの旅番組

『世界を旅する無知と無恥』のインド編を観てから行くと良いでしょう。

世界を旅する無知と無恥 | Netflix (ネットフリックス)

中々笑えて、日本編もあるので是非ご覧ください!

 

さて、インドで有名な方と言えば??

おおよその方はガンジー!と答えるのではないでしょうか。

モディ首相、安倍首相とめっちゃ仲いいので最近よくニュースで見かけますね。

 

また、あのGoogleMicrosoftの経営者の名前をあげる人もいるかもしれません。

いまインド工科大学の卒業生は引く手数多ですからね!

 

 さて、わたしはラヴィ・シャンカールと答えます!

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1920年4月7日 - 2012年12月11日

 

インドの伝説的なシタール奏者です。

1997年には日本では世界文化賞というのを受賞しております。

 


Ravi Shankar at Monterey Pop (June 1967)

 

ジャズ界であればジョン コルトレーンが。

ロックの世界ではビートルズジョージハリスンが。

 

ジョージとの親交は、1966年に出会ったのがきっかけでその後にあの

ウッドストックフェスティバルにも出演し、ジョージ主催による

バングラデシュの難民救済コンサートにも出演。

 

その後、ジョージが亡くなる2001年まで親交が続いています。

 

ビートルズのサウンドで特に顕著なのが『Norwegian Wood

ノルウェイの森)』でしょう。

この曲を収めている『ラバー・ソウル』以降の作品はところどころ

東洋の文化を受けたようなサウンドが聴けます。

 

また、当時ベトナム戦争に反するヒッピーたちに大きな影響を与えたのも

ジョージであり、ラヴィ・シャンカールだと言われています。

アメリカを主に反戦自由主義を訴えるヒッピーたちにとっても時代的にも

とてもマッチしていたものでした。

『フリーセックス』や『ドラック』も彼らの主張のひとつですね。

 

そしてノラ・ジョーンズ父親だったのもラヴィでした。

 

色々と事情がありほとんど会えなかったとか。

父親がそんなに有名人とあればそんなに簡単には会えませんよね。。 

ジャズシンガーとなってますが、カントリーやソウルなど

ジャンルにとらわれない様々な音楽を聴かせてくれて、

あの妖艶な雰囲気はなんとも言えません。

 

このジョージとの交友関係と、ノラとの親子関係。

もともと、両方とも好きだったわたしは何か自分の中でのつながりが

あるのかなと思わざるおえません。。

繋げているのは、ラヴィ・シャンカールというワールドミュージック

ゴッドファーザーであることは間違いありません。

 

ラヴィ・シャンカールという偉大な人間交差点があって、

いつかどこかで交差していたのか。

いまでも、とても不思議な気持ちになります。

 

みなさんの身の回りにもいらっしゃいませんか?

不思議とこの人を介していろんなつながりが。。

そんな人と出会うと人生面白くなると思いますよ〜 

 

 

ノーベル文学賞をとって1年 今また考えてみる ボブディランの世界

幼少期や、思春期に家で流れていた音楽や文化的なものって、その後の人生に

大きな影響を及ぼすことが多いですよね。

 

わたしも、そうでした。

家庭的な事情もあって、ものごころついてから肉親と暮らし始めたのは

中学生から。

生活環境はガラッと変わったわけですが、その一つに『音楽』を聴く

環境というのがすごく変わったということはとても大きかったです。

 

父親の趣味が好きが高じてか、住んでいる家はとてもボロい

アパートだったのですがオーディオの設備だけはやたらと整えられていました。

コンポではなく、プリーヤーとプリメインアンプとスタジオ用スピーカーで

来る日も来る日も親が好きな音楽を聴かされる日々!

 

スタジオ用のスピーカーの音量たるやボリュームを少しでも上げようものなら

近隣の方からクレームが入るという。。笑

 

聴く音楽は決まって1960年代〜1980年代のアメリカとイギリスの音楽たち。  

ブルースに起因する音楽がとにかく多く、魂の叫びなんだ!とよく

豪語してたのが印象的だったな。。

 

つい先日ノーベル文学賞を日系イギリス人のカズオ イシグロ氏が

取りましたが昨年は驚きのボブディラン氏でしたね〜

歌詞が文学として認識されるとはなんとも嬉しい限り。

 

そのボブディランといえばフォークの神様として祭り上げられていますが、

彼も1964年ごろに売れてきていたビートルズローリングストーンズ、

エルビスプレスリーなどの流れとしたロックンロールスターに憧れたわけです。

 

ニューポートフォークフェスティバルというフォークの祭典でボブディラン氏は

その夢を叶えようとエレクトリックバンドを従えて登場したわけです。


Bob Dylan Live at the Newport Folk Festival

 

演奏後に聴衆からブーイングをくらい、泣く泣く下がってフォークギターを

持って泣きながら演奏をしたという逸話が残ってますね 笑

今はYou tubeでサクッと観られますがこの動画を当時は海賊版のVHSを、

とんでもないクオリティで観たのをよく覚えていますよ〜

なんていい時代だ... 

 

わたしは、この時の演奏がとっても好きでバックバンドの

マイクブルームフィールドは大好きです!何よりもディランがとても

生き生きと演奏しているし。

5年ほど前に日本ツアーに来た際に観に行きましたが、フォークギターだけで

ずっと歌ってましたよ。

 

ちょうどこのフェスの時代に書かれた曲たちの歌詞は世相を反映している詩が

多く、文学としても評価されているとか。

公民権運動が盛んな中、ジョン・F・ケネディ元大統領の暗殺があったり

と戦争の絶えない時代だったので、おのずとそうなるのかもしれない。

 

『激しい雨が降る/A Hard Rain's A Gonna Fall』で雨を戦争で降り注ぐ銃弾に

見立てて反戦を訴えたり、『風に吹かれて/Blowing in The Wind』では人種差別に

物申したり、プロテストソングが多く今も止まない無差別銃乱射事件や、

人種差別など当時から変わらない課題は今なお文章として見ても何ら古さを

感じない普遍的なものですよね。

昨日生まれたばかりの曲かのような新鮮ささえ覚える。

 

今も海外で悲惨なニュースが海を越えた日本で流れた際にはいつも、

ボブディラン氏の歌詞を思い出します。

 

この詩を見るたびに日本人である我々は何ができるのか。

平和ボケしているのではないか。

もっと声を大にし何かを伝えるべきではないのか。

このままぼーっと静観していたいいのだろうかと、よく考えます。

まぁ、海外でどれだけ人が死のうと、特定の人種が差別されようと

何も思わなければ何も起こらず自分の時間が流れていく、これまた事実なわけで。 

 

自分自身は何もできないけど、平和を祈って音楽のことは綴っていこうかな。

 

友よ、答えは風の中に。

 


Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)

わたしが追い求める3つのこと

32歳、サラリーマンを辞めてみました。

学業と、独立の機会をいただきました。再就職を諦めたともいうか..

 

働き方に疑問を感じながらずっとやってきていい加減に、身体を壊すかなぁと感じつつ自分にウソをつきながらいくのも良くないなと。。

 

無謀にも昔から、働いていた会社では社長になってやろうとか、いつか独立しようとか考えていたらもう20代が早々に終わってしまい30代に。。時間の流れは止められませんねー。

 

自分で出来ることは何か?他の人より多少なりとも知識の深いものはなにか。

情熱を傾けられるものはなにか。 

よく考えるとこの3つぐらいかなーと

 

 

①ひたする音楽を聴くこと、流すこと。

残念ながら、演奏が全く出来ずに本当に聴くだけ。

しかもほとんどに60年代、70年代のブルースを軸としたロックとモダンジャズだけ。

親から授かったものはいつ誰が何の曲を演奏しているかぐらい 笑

この辺の見識を総動員して先日はアナログでDJをはじめてみましたよ〜ただただ

曲を流すだけでしたが、 難しいことはしていないはずなのに

緊張し過ぎて久しぶりに手が震えた。。

 

 

②トレードと投資

主にFXがメインで、先日ようやく仮想通貨の口座を開設。

 ノウハウなど公開出来るようなレベルでは無いけど徐々にあげてみたいと思う。

トレードのことを書いているブログは世の中にいくらでもあるから差別化を考えないとなりませんね。近日中に個人版の401k、iDecoを開始しようかと思ってます。

安定的な収入が上げられるようになってからかな 笑

 

 

③目標だった大学へ行くこと。

僕の本分は、実は学生 笑 

昨年の秋に入学し、仕事に忙殺されてあまり単位が取得できておらず...

どうしても昔から行きたかったのと、投資を通じて経済に目が向くようになったこと。

通信制の経済学部へ入学してみたのです。

最長12年+3年在籍可能らしいのですが、さて何年で卒業出来るかな。

 その後大学院でも学んでみたいと思うかな。

 

音楽と、トレードと、学業と。

 

この3つを主に書いていこうと思ってます。

そんな自分の興味のあることだけやってそんな都合よく生きていけるのか?

好きはものの上手なれ、突き詰めて仕事になるまで高めてみようと思う。

あいつに出来るのだから、オレでも出来るんじゃないか?読んでいただき、その様に

思えるような人生になるべく精進していきます。ぼくは、かなり人生遠回りしているので同じ轍を踏まぬように備忘録として。

 

こう書くと後に退けないっていうのもあるかな。